ジユログ

自由に生きたい看護師のブログ

透析を中止する権利を認めてもいいと思う理由

東京都の病院で、透析治療を受けていた女性に透析しない選択肢を医者が提示して、透析しないことを選んだ女性が亡くなったニュースが話題になっています。
 
患者本人、家族、医者、医者以外の医療職も含めて話し合いをして、透析中止の意志を確認し同意書も作成していた。透析中止後、患者と家族はやっぱり透析したいと意志を変えたが、その女性は亡くなった、というのが経緯のようです。
 
 
この事件で気になるポイントは、
 
  1. 末期ではない人の透析中止は透析医学会のガイドラインでは認められていない。医学会で認めていないことを、患者が選択することは容認されるのか。
  2. 死ぬことを選択する自己決定権は、法的、倫理的にどう捉えられるのか。
  3. 患者と家族は最後に意志を変えたが、結果死亡した今回の件で、病院の責任がどこまで問われるのか。
 
このあたりです。
 
ニュースではあまり触れられていませんが、患者が意志を変えたため透析を1回行ったようです。
治療を再開したというのは、病院の責任を考える時に重要な事実になると思います。
残念ながら1回の透析では間に合わないほど、既に容体は悪くなっていたんでしょう。
 
また、女性の意思決定を医者が誘導していなかったかどうか。
透析を中止したらその後どうなるのか、十分な話し合いをして理解を得られていたのかどうか。
ということもポイントになりそうです。
 
 
ニュースの報道のされ方からして世間はこの病院と、透析中止に否定的なようです。
 
医者がどんなふうに、なぜ、透析しない選択を示したのか気になるところだし、本人、家族の意志に反して亡くなったのであれば、悲しい出来事です。
 
 
しかし、私は透析を中止する権利は守られるべきだと思います。
 
 
なぜなら自分のことを自分で決める、これはとっても大事なことだと思うからです。
 
自分らしく生活したいけど、透析しながらでは望む生活ができない、癌で症状が悪くなってきて苦しみが強い。
 
そういうとき、透析をすることも選択肢の一つだし、場合によってはしないことも選択肢の一つです。
 
透析中止の選択肢を認めないのは、患者がどんな治療を受けるか受けないのか、自分で決める権利を認めないことで、それは問題だと思うのです。
 
 

透析中止を認めている国もある

 
日本では透析を継続してもしなくても生きられるのはあと数日~数週間くらい、と見込まれるときくらいしか透析の中断は検討されません。
 
しかしところ変われば常識も変わります。自己責任の国アメリカでは、透析を中止することが普通に認められています。
それどころか透析を中止して起こる苦しい症状に対して、積極的な緩和ケアがされるようです。
 
例えば透析をやめると体内に水分が溜まるため、呼吸が苦しくなってきます。
この苦痛に対して、利尿薬を処方したり、限外濾過といって余分な水分を体の外へ出す治療が行われることもあります。
 
 
これってかなりすごいです、驚きです。
日本では絶対にありえない・・・
 
 
限外濾過も透析もやることは全く同じで、透析施設で針を刺して透析と全く同じように行います。
 
日本的には、そこまでするんだったら透析したらいいじゃん!
そしたら患者さんは助かるんだから!
と思ってしまいます。もう完全に価値観の違いなんでしょうね。
 
 
アメリカでは、自己決定がとても重要で、あらゆる手助けをしてそれでも透析中止、死ぬことを本人が選ぶなら仕方ない。
それなら楽に死ねるように手助けしてあげよう、という考え。合理的で、建設的です。
 
日本は、助かる見込みがなくても、本人がどんなに苦しそうでも、最後まで諦めずあらゆる治療をしよう、という考えです。
そのかわり、苦痛を軽減するケアはアメリカほど積極的には行われません。
それは死ぬことの手助けで、倫理的に許容されるのかという問題が出てきます。
 
 
 
ちなみに、アメリカ、カナダ、イギリスでは透析の中止は特別なことではなく、わりと一般的なようです。
 
他のヨーロッパ諸国ではあまり多くないようですが、それでも認知症や他の心血管系疾患、重度の癌などで透析中止を希望する患者はいて、中止することはあるようです。
 
 
たとえそれが死ぬことであっても、自分で決めたことが認められる。
そういう地域もあると知っていると、考えの幅が広がるんじゃないでしょうか。
 
 

議論すらしないのは問題

 
日本では透析しない選択は議論にすら上がりません。
議論されないため、透析するしないの選択をどう支援するか指針もなく、
事例も少ないために、患者が正しく意思決定できるよう医療現場が支援できない。
 
 
意思決定には、患者本人の意思だけでなく、家族の思いや世間的なものが絡んできます。
 
さらに、認知症や病状が悪くて意識がないなど、本人が意志を示せないケースもあり、そんなとき誰が決定するのか?
 
複雑で曖昧です。
 
だからこそ、どういう過程を経て誰が意思決定するのか、もう一歩議論を進めて社会的な合意を作るべきだと思うのです。
 
  

自己決定権を認める

 
自己決定権を認めることは当たり前のことです。自己決定権があることによって、
 
医療の質、患者の生活の質の向上をもたらす
 
透析やめたい、と患者が言うと、
透析をやめることはできません。やめたいなんて、あなたの考えはおかしい。
と医療者は価値観を押し付けてしまいます。
 
なんでやめたいのか気持ちを表出したり、話し合う機会がありません。
 
 
中止の選択も視野にいれて、本人、家族、医療者、介護関係者で十分に話し合う。
 
うつ病や、なにか他の身体的な問題があるならその治療をしたらいいし、
もし、何かあることが嫌なら、その「あること」を改善したらいいんです。
話し合うことで、気持ちが変わる可能性だってあります。
 
そうすることで、生活の質はいい方向へ向かうし、画一的な医療から患者個人の希望に沿った医療に変わる可能性があります。
 
個人の考え、気持ちを無視していたら、個人の満足は得られないし、解決できません。
 
 
医療者のQOLへの意識が向上する
 
病気と付き合いながら本人が希望する生活ができること。
 
これが社会的には理想です。
 
そのためには、医療者が価値観を押し付けるのではなく、患者の意志を尊重することが必要です。
 
私が思うに医療者は今のところ、患者の生活の質を重要なものとして位置付けていません。
自分の尊厳のために、生活の質のために、生きることよりも死ぬことを選択する人もいる。
そういう人を前にすることで、患者の自己決定権、生活の質の重要さに気づき、結果的に医療の質、患者の医療の満足度、QOLも向上するのではないでしょうか。
 
 
 
-------------
 
このニュースで、中止しなければ女性は約4年間生きられた可能性があった、と担当の外科医が話していました。
 
20年以上透析している人だって普通にいます。
余命4年というのは、40代の若さにしてはあまりにも短すぎる。
 
この女性は腎不全以外にも何か重篤な病気を持っていたのではないかなぁと思います。女性の病状がどんなふうだったのか詳しい事情はわかりませんが。
 
だとすると、医者が何の問題もない患者に突然、透析中止を提案したというニュアンスはなくなります。
 
メディアは病院を悪者に仕立て上げているようだけど、感情的、情緒的に報道するのではなくて、公正に報道してほしいところです。
 
 
透析中止は絶対によくない!とやみくもに規制する方向に進むのではなくて、
 
なぜ透析中止を提案したのか
透析中止を認めるのはいいのか悪いのか
どうしたら適切に意思決定を促すことができるのか
患者が最後に意志を変えた場合どうするべきなのか
 
医療のあり方、自己決定権について考える方向に進んでいったらいいなと思います。