ジユログ

自由に生きたい看護師のブログ

自分を攻撃する言葉を真に受けないようにしよう

つらい毎日を送っている新人看護師さん!

 

看護師の1年目って仕事もまだできないし、一番下の立場ってことで誰からも責められやすい立場です。

 

中には指導という名目で、やる気や自信を根こそぎ奪うようなことを言ってくる人もいます。

 

 

時々、中学や高校の部活動で監督が学生に体罰を与えたり、人間性を否定するような暴言で指導を行い、追い詰められた学生が自殺するというニュースを目にします。悲しいことにこうした出来事は一度だけではなく、繰り返されています。

 

指導した側はたいてい、指導のつもりだったと弁解して、自分のしたことに正当性をもたせようとします。悪いのは指導に耐えられないほど弱い相手のほうだとでも思っているんでしょうか。

 

テレビでは一部のコメンテーターが、指導のためなら多少厳しくするのも仕方ない、と指導者側に理解を示すのを目にします。

 

こういうのを見ていると、日本は指導のためなら多少厳しくても仕方ないという意見を持つ人が一定数いて、パワハラが許容されやすい国なんだなと思います。

 

 

でも、それって必要な厳しさなんでしょうか?

指導のためなら、その結果人が自ら命絶っても仕方ないんでしょうか?

悪いのは自殺にまで人を追い詰める指導ではなく、それくらいの厳しさにも耐えることができない弱い人のほうなんでしょうか?

人は相手に威圧され支配された状態でしか、成長できないのでしょうか?

 

 

そんなことはないと思います。

 

人が何かを学ぶのは厳しさによってだけではありません。

 

人は人から信頼され尊重されることで、能力を伸ばしていくこともできます。厳しさなんてなくても人は学び成長できるんです。

 

そういう厳しい指導で確実に学ぶのは、上の人に逆らってはいけないという服従と従順さです。

 

 

もともとこういう厳しい指導は、戦争中の軍隊で行われていました。

一般人を軍人に仕立てて戦争に向かわせるには、厳しい指導で権威に服従させ従順にしてしまうのが効果的だったんでしょうね。

 

そして戦後、学校教育にもこの軍隊流の教育が持ち込まれました。

 

日本の戦後の学校教育は、実は工場勤務に向いた人を育てることを目的にスタートしています。日本経済を立て直すためには、工場でたくさん物を作ってたくさん売ることが必要だったのです。そのためには工場で働いてくれる人が必要でした。

 

工場勤務に向いているのは、おかしいことにおかしいと正論をぶつけてひっかき回す人よりも、朝から晩まで黙って働いてくれる従順な人。

 

そういうわけで、秩序と協調を重んじる学校教育が広まったのです。

 

学校教育や厳しい指導は、個性を潰して画一的で従順に働く人を育てるため。そう思うと、なんかばかばかしいって思うよね。

 

学校のルールから飛び出す人はダメな人ってレッテルを貼られるけど、私は学校に馴染めないダメな人のほうがむしろ正常なんじゃないかって思います。だって暴力や自分を否定して攻撃する言葉を、指導なんだから受け入れろってほうが無茶苦茶だし。指導のためだ!って正義感で人を自殺まで追い詰めていく人のほうがよっぽどおそろしい。

  

 

時々先輩は、指導のため新人にきつくあたります。時々指導でもなんでもなく、ただあんたのことが気に入らないという理由で攻撃してくる人さえいます。

 

おかしなことにそれはダメなこととはされていなくて、指導される側にも問題があるってことで済まされたり、指導に弱音を吐くほうがダメな人だって思われます。

 

正義面して人のミスを指摘したり、威圧して指導したと満足する人の言うことなんて、真に受けないほうがいいです。

 

それはあなたが特別できないから言われるのではなくて、新人だから言われることです。次の年にはまた新人が入ってきて、ターゲットが変わります。何年かしたら言われなくなります。

 

だれかにひどい言葉を浴びせられても、自分はダメな人間なんだとあまり真面目に受け止め過ぎずに、はいはいと受け流すことも必要です。

 

あなたのために言ってる、と恩着せがましく攻撃してくる人の言うことなんて、 ほっとく!うまくかわせる技術も大事!

 

それでもどうしても辛いなら、少し休んでみて下さい。

 

たまには仕事をズル休みしたっていいんだよ。そういう不真面目さが自分を救うこともあるんだよね。