ジユログ

思いついたことをつらつら書いているブログです

自分が正しければ相手を怒っていいわけではない

お店でクレーム入れたらこんなサービスしてくれたと武勇伝のように語ってくる人


相手を正義と力で征服させたのがよっぽど得意だったのか、どんなふうに怒ってどんなふうに店員が謝罪してきたかを誇らしげに話してくる人がいました。聞いているとそんなことでそんなに怒る必要ある?と思ってしまう些細なことだったりします。


飲食店で注文したのと違うのがきたとか、待ち時間が長かったとか・・・。


普通に、注文したのこれじゃないんですけどって言えばよくない?
待っとけばそのうち順番くるんじゃない?

 

そんなことで本気でブチ切れることができるって逆にすごいなと思います。血の気多いのかな。でも何事もやりすぎはよくないです。

 

客という立場を利用して、自分に正しさがあることを盾に些細なミスを取り上げ、相手を必要以上に責め立て過大すぎる謝罪を要求する。

 

そういうのなんて言うか知ってますか?

 


クレーマーっていうんだよ

 

 


そりゃ注文を間違えた店側のほうが悪いのだろうとは思います。でもそれを理由に、怒りに任せて相手を怒鳴り散らしていいわけではないと思う。正しければ何をしてもいいっていうわけではないでしょう。

 

 

 

その昔、ガリレオガリレイが回ってるのは地球のほうだと主張したとき、みんなそんなことあるはずないとガリレオを非難しました。(らしいです)

 

でも実はガリレオが正しかったの。間違ってるのはみんなのほうだったの。

 

みんなが正しいと思ってても、実はみんなのほうが間違ってることだってあります。

今私たちが当たり前だと思ってることだって、何百年か先には実は間違ってたとわかるかもしれない。

 

 

そう思うと、自分が正しいと思っていることが絶対に正しいとは限らないです。どんなに自分は正しいと疑い得ないときでも、もしかしたら自分は間違っているのかもしれないと1㎜くらいは自分を疑う余地を持っているほうがいい。

 

科学的なコトでさえ絶対に正しいと言えることはないんだから、社会的な習慣や関して言えばもっとです。時代や地域、立場や状況によって180度変わったりします。

 

 

たとえば注文を間違えたとして、普通に考えると間違えたほうが悪いです。

 

でも間違えた人を怒るという行為が正当化されるのは、間違えるのはよくない。客はお金を払ってるんだから店はきっちりサービスを提供するべき。そういう価値観をそこにいるみんなが持っているから。

 


別に間違えてもいいじゃん~。そういうこともあるよ~というお気楽な価値観を持つ人が多い国に行ったとしたら、そんなことで怒り狂う人のほうがとんでもない狂人に見えると思います。

 

 


誰かに腹がたっても、相手の事情を想像してみると違う景色がみえてくることもあります。

 

例えば新型コロナウイルスでマスクの品切れが続く中、マスクを入荷したドラッグストアに朝早くから並んでマスクをたくさん買う老人。

 

これを見て、そんなにいらないだろ!老人は働かなくていいんだから家にこもってろ!と非難する人もいます。

 

だけど、そのおじいさんが「孫が喘息で、マスクがいるんだ。若い人は仕事があるからなかなか買いには行けないから、暇なわしが朝から並んで孫たちの分も買ってるんだ」と言ったら、どうでしょうね・・・

 

そのおじいさんがたくさんマスクを買うことで、買えなくなる誰かがいることに違いはないです。

 

でもそう言われると、心なくそのおじいさんを非難する気にはなれない。そのおじいさんもまた、マスクがなくて困っている被害者の1人なんだ。大事な家族のために、自分にできることをしているんだ。そういう一面が見えてくるから。

 

 

自分は間違ってない、正しい。

相手は間違ってるんだから悪い。

 

そうやって物事を二極化してとらえてしまうと、自分が正しいんだから、正義だから相手を罵ってもいいと思いがち。

 

でもそれがまかり通る世の中になると間違えるのは悪いことになってしまうし、間違えてはいけないプレッシャーはとても大きくなる。それってものすごく息苦しい世の中だと思う。

 

忙しかったのかもしれないとか、相手の立場や事情をちょっとでも想像してみれば、怒りはやりすごせます。

 

すぐにカッとなってしまう人は、自分のいるところから見える物事の一面だけを見ていて、いろんな視点で見ることができてないんだと思う。

 

相手の立場になって考えてみる。当たり前すぎて見向きもされない言葉だけど、やっぱりこれが大事だと思う。